movies vol.2    



              ギルバート・グレイプ

             原題:
What’s eating Gilbert Grape
              1993年・米国作品 117分  監督:ラッセ・ハルストレム
              出演:ジョニー・デップ、ジュリエット・ルイス、レオナルド・ディカプリオ、他
             

              

           


 ものがたり
 アイオア州エンドウーラ。音楽なしでダンスを踊るような、つまらない片田舎の町。24歳の青年、ギルバートは小さな食料品店の店員として働いている。父は17年前になくなり、母は夫の死のショックから過食症に陥って超肥満に、18歳の弟アーニーには知的障害があり、高い給水塔の上に昇っては、警察沙汰になる始末。姉は失業、妹も頼りにならない。アーニーの面倒とグレイプ家の生活を支えるために、ギルバートは夢も希望もないような毎日を送っていた。その店も最近道の向こうにできた大型スーパーにすっかりお客を奪われ、ジリ貧状態だ。楽しみといえば、お得意であるカーヴァーさんへの配達。ミセス・カーヴァーの誘惑に、まんざらでもないギルバート。そこに現れたのが、トレーラーハウスで祖母と旅をする女性、ベッキーだった。あらゆることに偏見を持たず、自然体で生きるベッキーとギルバートはいつしか恋に落ちて・・・。
 家族のために砂を噛むような人生を歩もうとしている青年が、恋や親の死を経験しながら、新しい世界へ旅立っていく姿を、温かい眼差しで描いた珠玉の青春映画。『マイ ライフ アズ ア ドッグ』『やかまし村の子どもたち』などで知られるスウェーデン人監督、ラッセ・ハルストレムがハリウッド進出第1作として発表し、大ヒットした。主役のジョニー・デップはもちろん、知的障害をもつ弟という難しい役を見事に演じたレオナルド・ディカプリオがオスカーにノミネートされた、まさに出世作でもある。

 お墓のシーン
 カーヴァー氏は子どものために買ってやった庭のビニールプールで溺死してしまう。同氏の葬儀が墓地で執り行われている。原っぱのようなそっけない墓地。棺を埋葬する土葬形式だから、1人あたりの敷地はかなり広い。ただし、花や植え込みなどの飾りはなし。十字架ではない、板状の白い墓石が点在しているだけだ。青いテントの中では、ネクタイにジャンパー姿の冴えないいでたちのギルバートがベッキーと共に立って葬儀に参列している。座っているミセス・カーヴァーは喪服を着ているが、アメリカでは参列者は普段よりきちんとしていれば、喪服にはこだわらないのかもしれない。同じ墓地には、17年前に亡くなったグレイプ家の父、アルバート・グレイプの墓が。その墓石の前ではアーニーが座り込み、土遊びを繰り返している。アルバートの墓は膝ほどの高さの小さな墓石。そこへ、大きなトレーラーに載せられたハンバーガーショップが道をゆく。トレーラーが大好きなアーニーは奇声を上げて大喜び。厳粛な葬儀はぶち壊しだ。


 レビュー
 この作品を「つまらない」と思う人がいたら、私はその人を心から同情する。しかしそういう私も、今回あらためてビデオで観て、見落としていたポイントがいくつもあることに気づき、劇場公開当時に得た何倍もの感動に浸った。だから、だまされたと思ってビデオをレンタルしてみてほしい。
 まずは、ハルストレム監督。この作品は私のベストムーヴィーともいえる『マイライフ アズ ア ドッグ』と同じ監督作品だったのだ。しかも、これから紹介しようと思っている『サイダーハウスルール』も彼の作品だった。これは決して偶然ではないのだろう。ハルストレム監督は愛と死の問題を描き続けている。真摯に、しかも、ユーモアを持って。だから決して暗くない。その世界観が私の志向とぴったり合う。まさに、ツボにはまるのだ。
 ある意味で、とっても悲惨な話だ。日本でもすっかり市民権(?)を得た「ひきこもり」問題。ギルバートの母親もいわば、ひきこもりだ。その母親を拒食に追い詰めた父親の死については、全容がなかなか明かされない。ギルバートがベッキーに心を許して告白し、観る者も同時に真実を知るという仕組みになっている。この間TVを観ていたら、母親の死のショックから拒食症になり、生命の危険が迫るほど肥満に陥った女性が手術によって命を取り止め、その後のダイエットによって、200キロぐらいの体重ダウンに成功したアメリカの実話が紹介されていた。ギルバートの母親の話も、決して大げさではないのだろう。さよならもいわずに、夫に死なれた妻の悲しみ。毎日の生活で精一杯に見えるギルバートも、実は父親の死をまだ乗り越えていない。
 超肥満の母親はベッドで決して眠らない。居間のソファーがベッド代わり。それが何故かも、最後に分かる。そして静かに訪れる母の死。絶望のようでもあり、家族にとってはそこから未来が開けるという皮肉でもある。母の死を弔うために、ギルバートが思いついたのは、あまりにも切なく、また意表をつくことだった。この映画にとって重要なシーンだけに、「それを言っちゃあ、おしめーよ」なので、ここは秘密にしておこう。法律的にはどうなのだろうか、なんて思わず考えたけれど、いやはや、なんたるGood ideaなんざんしょう。

 もちろん、アーニーを演じたディカプリオは拍手喝采ものだ。知的障害者をただリアルにやるだけでなく、いとおしい存在として表現できたから、ギルバートの気持ちも心に染みる。でも、私はやっぱりジョニー・デップのシャイで不器用な青年ぶりを高く買いたい。ベッキー役のジュリエット・ルイスもとってもチャーミング。ベッキーはいう。

 「私は外見の美しさなんかどうでもいいの。長続きしないもの。いずれ顔にしわができて、頭には白髪が。オッパイも垂れる。そうでしょ?何をするかが、大事なのよ」

 他の登場人物もけっこうユニーク。友人の一人、ボビーは葬儀屋。いつも霊柩車をマイカー代わりに乗り、ご陽気に死を語る(笑)。ギルバートを誘惑するミセス・カーヴァーも決して憎めない。妙にエキセントリックなカーヴァー氏のキャラも秀逸。ちょっと変わっているけれど、見渡せばどこにでもいそうな人たちが魅力的に描かれているところが、この作品をさらに味わい深くしている。

 現実に埋没し、何もできずにいたギルバートがベッキ−にめぐり会い、さまざまな葛藤の果てに選んだ道。それは、観る者を本当に幸せな気持ちにする。そう、人生は出会いと別れの連続。だから人は変われるのだ。自分が変わろうとしさえすれば・・・。

 
BACK  NEXT INDEX HOME